信用できる人って、どれくらいいるのだろう。

ときどき、そんなことを考えます。

仕事でも、友人関係でも、「この人なら信用できる」と感じる人がいる一方で、少し距離を置いた方がいいかもしれない、と感じる人もいます。

では、そもそも信用できる人とは、どんな人なのでしょうか。

間違えない人。約束を守る人。正しくて、誰のことも傷つけない人。

もし、そういう人だけを信用できる人と呼ぶのだとしたら、たぶん、そんな人はいないのだと思います。

私も、そういう人ではありません。間違えることがあります。余裕がなくなることもあります。よかれと思って言ったことが、相手にとっては嫌なことだった、ということもあると思います。

完璧ではありません。

だから私は、完璧であることと、信用できることは、少し違うのではないかと思っています。

信用できる人は、間違えない人ではない

人と長く付き合っていれば、意見が違うことがあります。

それは違うと思うこともありますし、難しいと思えば、そう伝えることもあります。すべてに賛成できるわけではありません。

ただ、そこで大切なのは、意見が違うことと、相手を雑に扱うことを同じにしないことなのだと思います。

相手を見下さない。相手が大切にしていることを笑わない。自分と考えが違うからといって、その人自身まで否定しない。

これは、何でも肯定するという話ではありません。

違う意見を持ちながらも、その人がなぜそう考えているのかを聞くことはできます。その人が何を大切にしているのかを知ろうとすることもできます。

意見が違うことと、相手を雑に扱うことは違う。

私は、そこを大切にしたいと思っています。

信用は、日々の扱い方に表れる

誰かのことを「信用できる」と感じるとき、その人が一度も間違えなかったから、ということばかりではないように思います。

むしろ、何かがうまくいかなかったとき。意見が食い違ったとき。余裕がないとき。自分にとって都合の悪いことが起きたとき。

そういう場面で、その人が周りをどう扱っているか。

そこに、その人らしさが表れることがあります。

信用というのは、大きな言葉でつくるものではなく、その人や、その人が大切にしているものを、日々どう扱っているか。その積み重ねの中に、少しずつ表れてくるものなのかもしれません。

人は完璧にはなれません。

私も、これから何度も間違えると思います。

それでも、人を大切に扱うことはできます。うまくできなかったときに、もう一度向き合うこともできます。

完璧な人にはなれない。

でも、信用できる人であろうとすることはできる。

私は、そう思っています。

信用できる人を探す前に

「信用できる人は誰だろう」と考えることがあります。

ただ、それと同じくらい大切なのは、自分自身のあり方なのかもしれないと思います。

自分は、相手が大切にしているものを大切に扱えているだろうか。

意見が違ったときにも、その人を雑に扱わずにいられているだろうか。

そして、

自分は、誰かにとって信用できる人であろうとしているだろうか。

そんな問いを、自分にも持っていたいと思います。